2024年6月8日、東京都文京区の豊島岡墓地で上皇陛下の従兄にあたる桂宮様の十年式年祭が執り行われました。愛子さまは初めてのご所祭に参列し、その立ち居振る舞いと桂宮さまを忍ばれる姿が多くの注目を集めました。今回は、愛子さまがどのように桂宮さまをしのばれたのか、桂宮さまの生涯と共にご紹介します。

二〇一四年に桂宮さまが66歳で薨去されてから十年が経ち、六月八日の午後に十年式年祭の御所祭が営まれました。式年祭とは、新党における仏教の法要にあたる追悼儀式で、個人の死後百日目までの儀式を礼祭、一年目の命日以降の儀式を式年祭と呼びます。桂宮さまは昭和天皇の末弟である三笠宮さまの次男で、上皇陛下の従兄にあたります。
この日は、三笠宮家当主の百合子さまに代わり、姪の彬子さまが当主代理を務められ、陽子さま、高円宮妃久子さま、久子さまの長女承子さまなど、皇族の皆さまが参列されました。その中で、愛子さまは青年皇族として初めてご所祭に参列されました。
愛子さまはグレーのワンピースをお召しになり、パールのネックレスとブローチ、白のイヤリングを着用され、黒い帽子にはベールがかかっていました。初めてのことに両陛下に伺い、念入りに準備したとおっしゃっていた愛子さまは、堂々とした美しいお辞儀をされ、会場にお入りになりました。
天皇皇后両陛下は慣例により、今回のご所祭には参列されませんでした。天皇陛下が参列される葬儀は、たった一つ、お父様である先代の天皇陛下のご葬儀だけと決められているそうです。その他の葬儀には、皇后陛下のものでも参列されることはありません。その理由は、天皇は神に祈りを捧げる存在であり、死の汚れを避けるためとされています。

この日、皇居乾門や豊島岡墓地の門の外には、初参加される愛子さまの姿を一目見ようと多くの人が集まっていました。十年式年祭という厳粛な場であったため、他の皇族方は集まった人たちにほとんど目を合わされませんでしたが、愛子さまは少し異なっていました。
遠藤にいた男性によると、愛子さまは歓声を耳にされて一瞬躊躇されたようでしたが、笑顔で手を振り返してくださり、帽子についた黒のベールが風になびいた様子が美しく、こちらも温かな気持ちになりましたと話しています。
このご所祭に先立ち、6月7日には赤坂御用地にある三笠宮邸でも霊社祭という儀式が行われました。その際にも、沿道の小学生が手を振ると愛子さまは窓を開けて手を振り返されていました。厳粛な儀式に向かう途中でも、人々の声に応えられる愛子さまの暖かいお気持ちが伝わってきます。
桂宮宜仁親王は1948年2月、昭和天皇の弟である三笠宮崇仁親王と百合子さまの間に五人兄弟の次男として誕生されました。兄に寛仁親王、弟に高円宮憲仁親王、妹に容子内親王がおられます。学習院大学卒業後、オーストリアに留学し、その後、NHKで十年余り勤務されました。

1985年、持病の心臓病が見つかりNHKを退職されました。その後も、病に倒れながらも福祉関係の公務を続けられ、多くの障害者の励みとなりました。
2008年には敗血症を患い、以後はほとんどお出ましがありませんでしたが、車椅子での公務を続けられました。
桂宮さまの生涯を振り返り、その人柄や多くの人々に慕われたエピソードを紹介しました。愛子さまの立ち居振る舞いや温かな気配りが、多くの国民に感動を与えました。これからも愛子さまの周りに広がる温かい人の輪を見守り続けたいと思います。
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