昭和を代表する女優として数多くの名作に出演し、その美貌と演技力で多くのファンを魅了した有馬稲子。彼女の人生は映画のように波乱万丈であり、その結婚歴や恋愛遍歴には驚きのエピソードが満載です。今回は、有馬稲子さんの現在の姿と共に、彼女の波乱に満ちた人生を振り返ります。
有馬稲子、家庭の事情で幼少期は祖母に預けられ、韓国のプサンで育ちましたが、終戦後に日本へ帰国し、暴力を振るう父親のもとで苦労を重ねながら育ちました。

1948年、友人の勧めで宝塚音楽学校を受験し見事合格。娘役として活躍し、1951年には映画『セキレイな客』で主演を務め、映画デビューを果たしました。その後、宝塚歌劇団を退団し、映画制作プロダクション「文芸プロダクション人参果ラボ」を設立し、昭和の映画界を盛り上げました。
最初の結婚:萬屋錦之介との愛と別れ
1961年、有馬稲子は歌舞伎界の大スターで映画にも出演していた萬屋錦之介と結婚しました。対談をきっかけに惹かれ合い、映画『なにわの恋の物語』で共演する中でプロポーズされ、トントン拍子で結婚に至りました。京都に大豪邸を建てて暮らしていましたが、萬屋錦之介の役者仲間やスタッフを毎晩家に招く生活に疲れ果て、結婚生活は3年7カ月で幕を閉じました。

再婚とさらなる困難
1969年、不動産会社を営む実業家と再婚。しかし夫の会社が倒産し、多額の借金を抱えることに。借金返済のために一生懸命働きましたが、夫の酒乱と暴言に耐えられず1983年に離婚しました。
三國連太郎との過酷な撮影
有馬稲子は1958年、今井正監督の映画『ゆるの鼓』で三國連太郎と共演しました。
撮影中、三國連太郎から本気で殴られるシーンがあり、10発以上も殴られ、鼓膜が破れるほどの怪我を負いました。これが彼女の女優人生の中でも最も過酷な経験の一つとなりました。
市川崑監督との衝撃の関係
有馬稲子は自叙伝で市川崑監督との不倫関係を暴露しました。市川監督と有馬稲子は深い関係にありましたが、市川監督が他の女性との間に子供をもうけたことが分かり、有馬稲子は関係を終わらせる決意をしました。
しかし、その過程で多くの苦難と葛藤を経験しました。

現在、有馬稲子は2001年から横浜の介護付きマンションで悠々自適な生活を送っています。自宅から引越しする際には多くの荷物を処分し、現在はガーデニングを楽しむなど、穏やかな日々を過ごしています。週に一度、ガーデニングの会を主宰し、日々の散歩も欠かさず健康を維持しています。

2017年に『徹子の部屋』に出演した際には、兄弟とはほとんど連絡を取っていないこと、一人で生活する寂しさを感じることもあると語っていました。それでも、彼女は「人の一生はほぼプラスマイナス0。
わずかに夏の羽織1万円を残す程度に終えるのが理想」と前向きな考えを持ち続けています。
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