2024年11月27日、かつて日本プロレス界を牽引した元プロレスラー、マイティ井上さんが亡くなりました。享年77歳。引退後はレフェリーや解説者としても活躍し、その存在感をプロレス界に刻み続けました。彼の波乱に満ちた人生は、リング上だけでなく、私生活や他団体との関係においても多くの話題を提供しました。

1946年、大阪市福島区に生まれた井上さん。本名は井上清。幼い頃からプロレスラーへの憧れを抱き、大阪学院大学高等学校で柔道に打ち込みながら、1967年に国際プロレスに入門しました。同年、名古屋市金山体育館での仙台剛戦でデビューを果たします。
その後、ヨーロッパで経験を積み、「日系井上」のリングネームで活躍。帰国後は華麗な「サマーソルトドロップ」を武器にファンを魅了し、1974年にはスーパースター・ビリー・グラハムを破ってIWA世界ヘビー級王座を獲得しました。
その活躍ぶりから国際プロレスのエースと称され、アニマル浜口さんとのタッグは「和製ハイフライヤーズ」と呼ばれるほどでした。
しかし、彼のキャリアは順風満帆ではありませんでした。1970年代後半からプロレス界の大型化が進む中、175センチ、105キロと小柄な体格で活躍する井上さんは、常に巨大な挑戦者たちと戦い続けました。その姿はファンの心に強く刻まれています。
井上さんは一貫して新日本プロレスに批判的でした。その原因は、交流戦での自身の扱いや、アントニオ猪木さんへの反感にあったとされています。国際プロレス時代、新日本がストロング小林さんやグレート小鹿さんを引き抜いたことに対し、井上さんは激怒。「彼らを絶対に許さない」とまで宣言しました。

一度は新日本のリングに上がり、IWA世界タッグ選手権試合に出場しましたが、その際の待遇に激怒。
その試合を最後に新日本とは決別しました。「新日本だけがプロレスではない」と言い切り、全日本プロレスに身を投じたのです。
全日本プロレスでの井上さんは、自身の個性を存分に発揮しました。彼の試合はユーモアとテクニックが光り、ファンを魅了しました。また、ジャイアント馬場さんとの親交も深く、全日本は彼にとって最適な舞台だったと言えるでしょう。
井上さんの私生活もまた話題に事欠きません。1970年代、女優の西尾三枝子さんと結婚。西尾さんは日活ニューフェイスの一員として映画界で活躍し、歌手としても活動していました。しかし、この結婚生活は長く続かず、ほどなくして離婚。
その後、西尾さんは大衆演劇俳優の松井誠さんと再婚し、息子をもうけましたが、再び離婚。西尾さんはその後、赤坂でカラオケスナックを経営しましたが、2019年に閉店。マイティ井上さんの人生同様、波乱万丈な日々を送っていました。

引退後、井上さんはレフェリーやテレビ解説者として活動を続けましたが、晩年は健康に苦しむ日々を送りました。糖尿病や腎臓病を抱え、宮崎県都城市で療養していたといいます。それでも彼は最後までプロレスへの情熱を失わず、動画を見ながら過ごす日々を送っていました。
2024年11月、通院途中に倒れ、そのまま帰らぬ人となった井上さん。全日本プロレスは声明を発表し、彼の死を悼みました。また、かつての同僚たちも彼の人柄や功績を称え、惜しみない賛辞を送りました。
マイティ井上さんの人生は、挑戦と葛藤の連続でした。リング上での活躍、団体間の確執、波乱の私生活──そのすべてが彼の魅力を形作っていました。小柄ながらも大きな挑戦者たちと戦い続けた彼の姿は、プロレス界の歴史に深く刻まれています。
井上さんの言葉にあるように、「新日本だけがプロレスではない」。その信念は彼の人生そのものを象徴していました。心からご冥福をお祈りいたします。
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