瀬川が塵紙をしゃっしゃっしゃっと取る動作に、花魁は思わず心を動かされる。あまりに生々しく、目の前の景色が一瞬で記憶に焼き付くようだ。その紅の色は、灯籠や行燈の光に照らされ、華やかな夜の面影を残しつつ、朝日が昇る頃にはその輝きを失い、毒々しく感じる。それでも、かつて客たちが楽しんだ夜の賑わいは、もう遠く、耳に届くのはただのいびきの音だけだ。

この瞬間、花魁の心の中に湧き上がるのは、深い自己嫌悪の感情である。過酷な仕事であることは分かっていたが、その現実を目の当たりにすると、どうしても自分を嫌悪せずにはいられない。朝日が差し込むと、昼間の世界に戻ることを強く感じる。だが、それでも心の中には微かな希望が残っている。何かしら、どこかに救いを求める気持ちが、薄くも確かに存在する。
そんな思いを抱えながらも、花魁はくすんだ表紙の細い本を手に取る。そのページをめくりながら、微かに微笑む。手にするのは、一冊の古い本。それは、彼女が唯一心を安らげるためのものだった。彼女の心の中には、ただ一つだけ確かな信念がある。それは「蔦重のためなら」というものだ。

蔦重。彼女が心から愛し、信じる男。彼のためならば、どんな苦しみも乗り越えられると、花魁は無意識に思っている。辛い時も、苦しい時も、この思いだけが彼女を支え続けている。しかし、彼女は心の中で、何度も自問自答を繰り返す。この思いは、本当に愛と言えるのだろうか。それとも、ただの依存に過ぎないのだろうか。
「間夫がなければ女郎は闇」――これは歌舞伎「助六」の花魁・揚巻の台詞である。
この言葉が花魁の心に響く。女郎としての運命に苦しむ彼女にとって、この言葉はまさに現実を突きつけるものであり、また、それでも彼女が生きていくための支えにもなる。
女郎という存在は、社会から疎外され、どこか闇の中で生きているようなものだ。誰もが彼女を救おうとしない。神も仏も、救済の手を差し伸べることはない。ただ、無間の地獄のような日々を送り続けるだけだ。それでも、彼女は一つだけ確信している。
生き抜くためには、間夫、つまり男の存在が必要だと。

それは、単なる依存ではない。間夫という存在が、彼女にとっては生命線そのものであり、彼のためならばどんな辛さも耐える覚悟がある。だが、同時に彼女は知っている。間夫との幸せな未来が待っているわけではないことも。吉原大門を出る日が来ることは、おそらくないだろう。だが、それでも彼女は、その日を夢見て生きていく。それがたとえ、嘘でも幻でも、あるいは間夫未満のただのトンチキ野郎でも、彼がいないと生きていけないという思いが、心を支えている。

そして、そのために、体を張る覚悟を決める。体を使い、心を使い、すべてを投げ出す覚悟で、トンチキ野郎のために。花魁にとって、それは愛であり、また自己嫌悪でもあった。
夜が過ぎ、朝が来る。その繰り返しの中で、花魁は自分を見つめ直し、時に涙を流し、また時に微笑む。彼女がどんなに自己嫌悪に苛まれ、苦しんでいても、その心の中には確かな「愛」が存在している。それが、彼女を強く支え、また、時に彼女を傷つけることにもなる。しかし、それでも彼女は生きていく。そして、いつかその苦しみから解放される日を夢見て、今日もまた一歩を踏み出すのだ。
愛と自己嫌悪。その葛藤の中で生きる花魁は、ただ一つの真実を胸に抱きしめながら、今を生き続ける。
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