日米で活躍された元プロ野球選手、伊良部秀輝さんについてお話しします。ロッテ時代に記録した158キロの球速は長く日本人投手の最高記録でした。そんな伊良部さんが亡くなったのは2011年のことです。彼が亡くなった理由について調べていくと、様々な説が見つかりました。
伊良部秀輝さんは兵庫県尼崎市で育ち、高校卒業と同時にドラフト会議でロッテオリオンズに1位指名され、1987年にプロ入りを果たしました。高卒ルーキーながら1年目から一軍を経験したスーパー・ルーキーとして頭角を現し、1994年にはパ・リーグ最多勝利を記録し、2年連続の最多奪三振、最優秀防御率など数々の個人タイトルを獲得しました。当時最速の158キロを投げる豪腕を武器に、チームの主力選手として活躍しました。

伊良部さんはニューヨーク・ヤンキースへの入団にこだわっていました。
念願かなって1997年にはニューヨーク・ヤンキースの日本人初メジャー契約選手になりました。この頃、伊良部さんがメジャーリーグにこだわる理由として、父親探しのためと報道されましたが、伊良部さんはそれを否定しています。彼は日本人の母と米空軍兵士だった父との間に生まれましたが、自分の本当の父親がアメリカ人であることを知りませんでした。

ヤンキースに入団後、1998年のキャンプで父親と名乗る人物が現れ、ようやく父親の存在を知った伊良部さんは、メジャー初登板で初勝利を飾り、2年連続でMLBチャンピオンリングを獲得するなど、日本人初の記録を続々と打ち立てました。その後、モントリオール・エクスポズやテキサス・レンジャーズと渡り歩き、2003年には阪神タイガースと契約し、シーズン10勝を挙げ、18年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。
2005年には一度現役を引退しましたが、再びアメリカに渡ってロサンゼルスでうどん屋を開業しました。しかし、事業は失敗し、2007年には廃業となりました。この時の事業撤退と負債が伊良部さんを相当追い込んだことでしょう。
伊良部さんは廃業後、日本に戻りたがっていましたが、妻子はアメリカでの生活を気に入っており、日本に帰れない状況でした。酒量が増え、毎日の飲酒が辞められなくなり、夫婦喧嘩が絶えなくなりました。
やがて妻は子供を連れて家を出て行き、伊良部さんは別居状態となりました。

日本に戻りたかった理由の一つは、野球関係の仕事に携わりたかったからです。しかし、若手時代の素行の悪さから、オファーを出す球団は現れませんでした。2009年には四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスでプレーしましたが、右手首の腱鞘炎でシーズン復帰が困難となり、2011年1月に二度目の引退を決意しました。
悲しい事件が起こったのは2011年7月27日、アメリカ・ロサンゼルスの自宅で首を吊って死亡していた伊良部秀輝さんが発見されました。家族とは同居しておらず、第一発見者は知人でした。泥酔した状態で自殺したことが明らかになり、日本中に衝撃が走りました。
伊良部さんが亡くなる約1ヶ月前に受けたインタビューでは、日本に帰りたがっていました。家族がアメリカの生活を気に入っているため、日本に帰れないことを嘆いていました。
伊良部さんが亡くなった後、妻の金光キョンさんの行動が酷かったとしてネット上で話題になりました。伊良部さんは遺骨をロサンゼルスのリトル東京に納骨して欲しいと訴えていましたが、妻はその要望を無視し、無縁仏として納骨しました。母親の面会を拒否し、一方的に無縁仏として納骨された伊良部さんの家族は納得がいきませんでした。
伊良部さんが生きていたら、家族と日本に戻り、野球人生を続けていたかもしれません。彼の最後の願いが叶わず、無念が残ります。伊良部秀輝さんのあまりにも悲しい最後に、多くの人々が心を痛めました。
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