2023年、ダブルビシ(WBC)では、メジャーリーガーの参加も相まって侍ジャパンの注目度が急上昇。中でも、その経験と才能で多くの若手から信頼を寄せられるベテランピッチャー、ダルビッシュ有。彼は日本代表として数々の場面でチームを牽引してきました。
そんなダルビッシュが過去に侍ジャパンの一員として活躍していた時代、捕手として支えていたのが阿部慎之助です。2008年の北京オリンピックではバッテリーを組み、その後も侍ジャパンとして共に戦ってきた二人。しかし、ダルビッシュが阿部を全否定する言動をしたという驚くべき事態に、ファンたちは一体何が起きたのかと騒然としました。

阿部慎之助は1979年、千葉県に生まれました。父親が元阪神タイガースの掛布雅之氏と同期で、その影響から幼少期は阪神ファンとして育ちました。
東京の安田学園高校を経て中央大学に進学し、大学在籍中にはシドニーオリンピックの日本代表に選ばれました。2000年のドラフト会議で巨人から1位指名を受け、プロ入りしたのです。
プロ入り後、巨人には前年の日本一を導いた捕手、村田真一がいましたが、ヘッドコーチの原辰徳の推薦により、開幕戦ではスタメン出場。鮮烈なデビューを飾るも、リードの難しさやプレッシャーに苦しむ日々が続きました。それでも阿部は持ち前の打撃力でチームを支え、2008年から2007年連続でベストナインに選ばれるなど球界を代表する選手となりました。
一方、ダルビッシュは1986年にイラン出身の父と、日本人の母の間に生まれました。小学二年生で地元の少年野球チームに入団し、その才能は瞬く間に名を馳せました。高校は東北高校に進学し、甲子園に四度出場するなど、大活躍しました。2005年に日本ハムに単独1位で指名され、プロ入りしましたが、一年目は不祥事や怪我に悩まされました。
しかし、二年目には日本一に導く活躍を見せ、沢村賞やゴールデングラブ賞など数々のタイトルを獲得。
メジャー挑戦は2012年、テキサス・レンジャーズに移籍し、その後もロサンゼルス・ドジャースやシカゴ・カブスで活躍。現在はサンディエゴ・パドレスの一員として強力なプレゼンスを見せています。

2012年の日本シリーズで、当時二年目の沢村洋和が立ち上がり不安定な立ち上がりを見せました。牽制のサインを見落とすなど精彩を書いたその場で、阿部はマウンドに詰め寄り頭を叩くという行動に出ました。これにより無失点で切り抜けたものの、この行為に賛否両論が巻き起こりました。また、2016年オフには小林政二を連れて自主トレに行き、小林が髪を気にする暇があったら野球に集中しろという意味で、自主トレにバリカンを持ってくるように指示するなど、厳しい指導が続きました。
ダルビッシュはこれらの阿部の指導方法に対し、度々疑問を呈してきました。特に2020年3月のプロアマ交流戦で巨人の二軍が早稲田大学に敗れた際、阿部が全選手に両翼のポール間を走らせる罰走を課したことに対し、ダルビッシュは「無駄なランニングは必要ない」と自身のSNSやYouTubeチャンネルで反論。さらに「才能ある選手潰れ、走り込み投げ込みプロしまう」とも発言しました。

阿部は「バットを振る、投げる、走る、守る」を基本としており、厳しい練習を課すことで選手の成長を促すという考え方です。しかし、ダルビッシュは「フィジカルが重要」であり、ウェイトトレーニングを重視する立場を取っています。ダルビッシュはイチローのトレーニング不要論にも反対の立場を示し、一貫してフィジカルの鍛錬が重要であると主張しています。
阿部とダルビッシュ、二人の理念は対立しているように見えますが、根底には共に日本野球界を強くしたいという強い思いがあります。この二人が持つ異なる視点が、どのように日本のプロ野球界に影響を与えていくのか注目されます。
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