平安時代の代表的な女流作家、紫式部が宮仕えを始めた背景には、彼女の文学的才能と深い葛藤が隠されています。夫・藤原宣孝を亡くし、幼い娘を抱えていた彼女が選んだ道は、藤原道長の長女・彰子に仕える宮仕えでした。生活のためだけでなく、文学的な使命感がその背後にありました。

宮中での葛藤と孤独
紫式部が仕えた中宮・彰子は、わずか12歳で一条天皇に入内した平安時代のプリンセス。紫式部はその教育係として、彰子に漢詩を教える役割を担うことになります。しかし、宮中での生活は決して楽なものではありませんでした。『紫式部集』には、彼女が宮仕えを始めた直後の不安や憂鬱を詠んだ歌が残されています。

初めて内裏わたりを見るにも、もののあはれなれば、
(初めて宮仕えをして宮中を見ると、しみじみと感慨深くなって)
身の憂さは心のうちにしたひきていま九重(ここのえ)ぞ 思ひ乱るる
(宮中を心の中で慕ってきましたが、今、幾重にも心が乱れています)
この歌からは、慣れない環境での心の乱れが感じられます。
驚きの行動—実家へ帰った理由
宮仕えを始めてから数日後、年明け3日に催された歌会が終わった後、紫式部は突如実家へ帰ります。この行動は、宮中での生活に対する不安や孤独感が原因と考えられます。彼女は同僚の女房たちに次の歌を送ります。

閉ぢたりし 岩間の氷 うち解けばをだえの水も影見えじやは (岩間を閉ざした氷のように、私に心を開いてくれない方々が打ち解けてくださるなら、私も出仕しないことはありません)
この歌には、周囲との距離感や孤独感が表れていますが、同僚からは優しい言葉が返されました。
引きこもりからの再出発
実家に戻った後、紫式部は秋頃まで引きこもりを続けました。この間、彼女は『源氏物語』の執筆に専念していた可能性があります。歴史学者の倉本一宏氏は、彼女が他の女房たちとは異なる待遇を受けていたため、かえって居心地が悪かったのではないかと指摘しています。

宮仕えを始めた理由—紫式部の選択
結局、紫式部が宮仕えを始めた理由は、彼女の文学的才能が認められ、それを発揮する場を得るためでした。しかし、その才能がかえって孤独を生み、宮中での生活に馴染むことができなかったのです。
彼女の選択は、当時の女性としては異例のものでしたが、その選択が『源氏物語』という不朽の名作を生み出す原動力となりました。紫式部の宮仕えを巡る物語は、彼女の強さと葛藤を浮き彫りにし、歴史に刻まれることになったのです。
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