江戸時代、庶民の住まいとして最も一般的だったのが「長屋」です。現代でいうところのアパートのようなもので、数軒の家が並んで建てられ、壁を共有していました。その中でも特に「裏長屋」は、経済的に厳しい人々が多く住んでいた場所として知られています。
裏長屋は、幅わずか2.7メートル、奥行き3.6メートルほどの狭い空間に、家族が数人で暮らしていました。現代の6畳間程度の広さしかない中で、家族全員が寝起きし、食事をし、生活していたのです。日中は外に出て働くことが多かったものの、家に戻れば、その小さな空間が唯一の生活空間でした。

裏長屋には、現代のようなプライバシーはありませんでした。薄い壁で隣の家と仕切られているだけで、隣の生活音や会話は筒抜け状態。
家事や育児、夜の営みまでも、周囲に聞こえてしまうほどの環境でした。新婚夫婦は、最初は恥ずかしがるものの、次第に周囲の目を気にせず生活するようになっていたと言われています。
また、長屋では井戸やトイレも共同でした。水を汲んだり、洗濯をしたりするのも、住民たちが集まる井戸端で行われ、自然と女性たちの井戸端会議が日常の風景となっていました。このように、プライベートと呼べるものはほとんどなく、共同生活が基本だったのです。

裏長屋の家賃は、月に4百文から5百文。現代の金額に換算すると8千円から1万円程度と、非常に安価でした。しかし、その分居住環境も劣悪で、風通しは悪く、窓も玄関側にしかなく、日当たりも悪かったと言われています。とはいえ、当時の庶民にとっては、その安さが最大の魅力でした。
長屋に住む人々は、職人や農村から流れてきた百姓、日雇い労働者など、経済的に余裕がない層が中心でした。彼らの一日一日は、朝早くから始まり、働きづめの生活を送りながらも、裏長屋に戻れば家族との団らんや、近所の人々との交流が日常の一部となっていました。

朝5時、長屋の住民たちは一斉に目を覚まします。特に働き手である男性たちは早朝から市場や工場に向かい、家族のために働きます。一方、家に残る女性たちは朝食を準備し、子どもたちを送り出します。朝食は白米と味噌汁が基本で、豪華な料理は期待できません。
午前中は家事や洗濯に追われ、昼食後には井戸端でのんびりおしゃべりを楽しむ時間も。午後になると、子どもたちが寺子屋から戻り、再び家族での時間が始まります。
夕方、仕事を終えた男性たちが戻ると、再び簡単な夕食を取り、夜が更けると灯りを消して眠りにつきます。油が貴重で高価だったため、夜の活動は極力避けられ、暗くなればすぐに寝る生活が一般的でした。

寒さ厳しい江戸時代には、現代でいう「こたつ」が広く利用されていました。
部屋の床を掘り下げ、炭を燃やして暖を取る「掘りごたつ」は、庶民にも普及していた重要な暖房器具です。特に冬場、寒さを凌ぐためにこたつは欠かせないものでした。
また、江戸の裏長屋では、下水道の仕組みも整えられていました。各家の台所や井戸からの汚水は、長屋の周りに掘られた溝に流れ込み、そこから川や堀に流れていきました。これにより、都市の衛生状態を保つ工夫がなされていたのです。
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