大正時代は、明治の改革期と昭和の激動期に挟まれ、少し影が薄い時代かもしれません。しかし、この時代は日本の食文化に大きな変化をもたらしました。今回は、大正時代における食文化の激変と、今に続く人気の食べ物について紹介します。
明治時代に入り、西洋からの影響を受けて肉食が徐々に広がり始めました。それまでの日本では、肉を食べることは一部の例外を除き一般的ではなく、特に動物性タンパク質の摂取は限られていました。しかし、明治維新以降、文明開化の波に乗り、肉食文化が導入され、庶民の間でも広まりました。

大正時代に入ると、カレーライスやトンカツといった洋食が家庭の食卓に並ぶようになり、特に都市部では人気を博しました。カレーライスは福沢諭吉の影響とも言われ、米とカレーの組み合わせが日本人にとって非常に合ったものとなりました。
福神漬けやラッキョウが添えられ、これが現在のカレーのスタイルとして定着していきました。
また、コロッケもこの時代に誕生しました。ジャガイモとひき肉を混ぜ、小麦粉やパン粉をまぶして揚げたコロッケは、当時の人々にとって新しいが親しみやすい料理でした。簡単で安価に作れることから、急速に大衆の間に広まりました。

しかし、大正時代の日本全体に豊かな食事が行き渡っていたわけではありません。特に農村部では、江戸時代から続く自給自足の生活が続いており、主食は麦飯や漬物、乾物といった簡素なものでした。都市部では、西洋料理の影響を受けた新しい食文化が浸透し始めたものの、地方では依然として栄養不足が深刻な問題でした。
当時の平均的なカロリー摂取量は2,100キロカロリー程度で、特に大豆から摂取する植物性タンパク質が主流でした。
動物性タンパク質や脂肪の摂取が少ないため、栄養バランスが悪く、多くの国民は栄養不良の状態にありました。結果として、感染症が蔓延し、平均寿命は男性45歳、女性47歳と非常に短命でした。

西洋料理が日本に浸透するきっかけとなったのは、明治時代の開国です。しかし、大正時代にはその流れが加速し、一般庶民の食卓にも広がっていきました。特に注目すべきは、ハウス食品による「カレー粉」の普及です。
カレーが家庭料理として定着する過程で、村上の商店が「ハウスカレー」を発売しました。もともと外国製のカレー粉を扱っていた村上商店は、妻の助言を受けて「ハウスカレー」という商品名に変更。その結果、ハウスカレーは一大ヒットを記録し、日本のカレー文化を根付かせる大きな役割を果たしました。

大正時代には、今も愛され続ける食品が数多く誕生しました。例えば、「カルピス」は1919年、大正8年に開発されました。カルピスの創業者、三島海運が中国・内モンゴルを訪れた際に、遊牧民から振る舞われた発酵乳がヒントとなり、酸味と甘みが絶妙な乳酸菌飲料を作り上げたのです。
カルピスは現在でも多くの人々に親しまれています。
また、キューピーマヨネーズも大正時代に誕生しました。アメリカでマヨネーズに触れた中島董一郎が、日本にその味を持ち帰り、1925年に製造販売を開始。これもまた、日本の食卓に欠かせない調味料として浸透していきました。
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