ゴシップネタとしてお馴染みの「妊娠中の浮気」。現代では定期的に芸能ニュースで騒がれるものですが、この問題は実は千年以上前の平安時代にも存在していました。当時の有名人、藤原兼家(ふじわらのかねいえ)もまた、妻の妊娠出産中に他の女性と関係を持つことで知られていた人物です。彼の複雑な恋愛事情と、それによって翻弄された女性たちの苦悩について探っていきましょう。

完璧男子・藤原兼家の登場
藤原兼家は平安時代の摂関家に属する超エリートでした。彼は、右大臣であった藤原師輔(ふじわらのもろすけ)を父に持ち、出世街道を突き進んでいくことが運命づけられたサラブレッド男子でした。明るくフレンドリーな性格に加え、ユーモアとウィットに富んだ発言で人々を楽しませるその姿は、多くの人々に愛される存在でした。

兼家はその優れた人格や知識、そして和歌の才能でも知られ、当時の貴族社会で完璧な男子として女性たちからも絶大な人気を誇っていました。しかし、その魅力的な彼が引き起こした恋愛劇は、現代の私たちが知ると驚かされるものばかりです。
長男誕生と同時に起こった新たな恋
兼家の最初の妻となったのは、時姫という高貴な女性でした。二人の仲は非常に睦まじく、待望の長男・道隆(みちたか)が誕生しました。しかし、その喜びの影で兼家は別の女性とも恋愛を進めていたのです。驚くべきことに、時姫が妊娠・出産をしている最中に、兼家は二人目の妻との関係を築き、子供が生まれる頃にはその女性と結婚してしまったのです。
現代であれば大スキャンダルとなりそうなこの出来事も、当時の平安時代では一夫多妻制が認められていたため、大きな問題にはなりませんでした。しかし、ここから彼の恋愛遍歴はさらに複雑になっていきます。

次男誕生と共に浮上する三人目の女性
兼家の二人目の妻は、後に有名な手記「蜻蛉日記」を残した女性でした。この女性が兼家との間に次男を出産したのは、最初の結婚から約一年後のことでした。しかし、この出産からわずか一ヶ月も経たないうちに、彼女は兼家の机の上で衝撃的な発見をします。それは、なんと三人目のターゲットとなる女性へのラブレターだったのです。
妊娠・出産で身動きが取れない間に、兼家はすでに別の女性と関係を持ち、さらにはその女性と結婚してしまっていたのです。
二人目の妻にとって、この事実は非常に辛いものであり、「蜻蛉日記」には彼女の嫉妬や怒り、嘆きが克明に記されています。

結局、七人の女性と結婚した兼家
このようにして、兼家は最終的に七人もの女性と結婚することになりました。彼の複数の女性との関係は、平安時代の法には触れなかったものの、二人目の妻の手記を読む限り、他の女性たちも決して喜んでいたわけではありません。むしろ、彼女たちは夫が他の女性の元に通うことに対して強い嫉妬や不満を抱いていたのです。
このような状況を見ると、たとえ一夫多妻制が認められていたとしても、現代の私たちが感じる浮気と何ら変わりない感情が当時の女性たちの心にも渦巻いていたことがわかります。兼家が法に違反していなかったとしても、彼女たちの苦しみは現代の女性が感じるものと同じであったことでしょう。
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