平安京の治安はどうなのか?
平安京と聞くと、華やかな宮廷文化や美しい貴族たちの姿を思い浮かべるかもしれません。しかし、現実の平安京はそんな理想郷とは程遠いものでした。街の至るところで、貧困や犯罪が横行していたのです。
『光る君へ』の序盤で描かれたように、人々が容易に命を落とす場面が頻繁にありました。当時の治安は非常に悪く、特に夜間の外出は極めて危険でした。街灯などの照明がほとんど存在せず、暗闇の中で足を踏み外して側溝に落ちたり、犯罪者に襲われたりするリスクが常にあったのです。

現代では考えられないような死因――たとえば、蓋のない側溝に転落して溺死したり、病気を媒介する不潔な水に触れて命を落としたりすることも珍しくありませんでした。こうした恐怖は、当時の人々の日常に深く根付いていたのです。
死体が転がる平安京
平安京を一人で歩くことがどれほど危険だったか、その一端を垣間見ることができるのが「死体の放置」です。
平安京では、疫病や貧困、飢饉などが原因で命を落とす人々が多く、死体が放置されることがしばしばありました。
放置された死体は、やがて腐敗し、鳥や犬に食い荒らされる光景が日常的に見られました。当時の人々は、こうした死体を穢れとして忌み嫌い、自宅の周りに死体が現れることを恐れていました。しかし、実際には死者を敬うという感覚は薄く、死体の処理もおざなりにされることが多かったのです。

さらには、死体を利用した恐ろしい事件もありました。例えば、一条天皇の即位式の際には、なんと高御座に生首が置かれていたという記録が残っています。これは権力者への嫌がらせとして行われたと考えられており、平安京の闇の一面を象徴する出来事です。
糞便まみれの平安京
さらに、平安京の生活環境をさらに悪化させていたのが、衛生状態の劣悪さです。当時のトイレ事情は現代とは大きく異なり、排泄物の処理は極めて原始的でした。
貴族たちは専用の容器に排泄物を溜め、それを水で流して処理していましたが、庶民は適当な場所で排泄をしていたとされています。

街中には排泄物が至るところに転がっており、悪臭が漂うことも珍しくありませんでした。
こうした環境では、当然ながら疫病が発生しやすく、人々の命を脅かしていたのです。洪水が起これば、排泄物が河川を汚染し、さらなる疫病の蔓延を引き起こすこともありました。
食糧事情もよいとは言えず
平安時代の食糧事情もまた厳しいものでした。庶民にとって白米は贅沢品であり、主食は雑穀や野菜が中心でした。栄養バランスが悪く、慢性的な飢餓状態が続いていたことも少なくありませんでした。

魚介類も、内陸の京都では新鮮なものを手に入れるのは難しく、貴族たちにとっては野蛮な食べ物とされていました。肉食も仏教の影響で避けられ、代わりに乳製品が一部で消費されていましたが、それでも栄養不足が問題となっていたのです。
ゆえに短命だ
こうした劣悪な環境下で生きていた平安時代の人々は、非常に短命でした。疫病や飢餓、貧困が原因で、若くして命を落とす人が多かったのです。
貴族でさえも、病気や栄養不足に悩まされ、長生きすることは稀でした。
藤原道長のような権力者でさえ、糖尿病に苦しんでいたとされ、栄養バランスの悪さが命を脅かしていたことがうかがえます。道長が長生きできたのは、他の多くの貴族が早逝したことが大きな要因でした。
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