『なぜ…質素な生活を続けるの?』老後に贅沢をしないという生き方を選んだ理由
――「それだけ年金をもらっていて、どうしてそんなに質素な生活を?」
近所の主婦からそう訊かれることは一度や二度ではない。私は笠原誠、72歳。東京都郊外の小さな一軒家に一人で暮らしている。
年金は月に20万円を超える。贅沢をしようと思えばできる立場だ。だが、私はそうはしない。
「好きで質素にしてるんですよ」と微笑んで答えるが、その背後には、長い人生の記憶と、ある静かな決意がある。
40年以上勤めた電機メーカー。総務部長として多くの人を束ね、責任ある立場で働いてきた。その日々は忙しかったが、やりがいに満ちていた。
だが、定年とともに妻を病で失い、家は突如として静まり返った。かつて賑やかだった食卓には、今や自分ひとり。何を作っても、何を食べても、空虚さだけが残った。
そんなある日、市から届いた分厚い封筒。中には後期高齢者医療制度と介護保険料の案内が入っていた。
「高額年金受給者には、それなりの負担をお願いしています」
文面を読みながら胸の奥にチクリと刺さるものがあった。
当然のことだと分かっている。でも、その一文には、社会からの静かな“視線”が込められている気がした。
ふと思い出すのは、かつての同僚の息子の話だ。非正規雇用で収入は不安定。将来の年金にも希望が持てないという。そんな若者が、今の日本にはごまんといる。
「恵まれているのは、俺の世代だ」
そう思うと、自然と欲を抑えたくなった。だからこそ私は、質素な生活を選んだ。
朝は味噌汁とご飯、漬物少々。かつてはブランドスーツを着ていた男が、今は擦り切れた箸を丁寧に洗い、味噌汁の香りに包まれながら一日を始めている。
それが私の「贅沢」なのだ。
誰かと比べることに意味はない。年を取ってからは、心地よさの価値が変わってくる。見栄や競争心は遠ざかり、本当に自分を満たすものが何なのかを見つめ直すようになる。

数年前の冬。軽い咳が長引き、念のため受けた検査で「白い影」が見つかった。
結果は良性だったが、一週間の入院を勧められた。
病院のベッドの上で過ごした夜、私は思った。
「自分がいなくなって、誰が困るだろう?」
そのとき、夜勤の看護師がそっと声をかけてくれた。「今夜はよく眠れそうですか?」
たった一言だったが、涙が出そうになった。
長い人生でも、たった一人の他人が、自分のことを気にかけてくれる――それだけで、心は救われるのだと知った。

退院後、私は生活をさらに見直した。兄の死をきっかけに、不要な物を処分し、部屋も心も軽くなった。
そしてある日、市の広報で「子ども食堂」の記事を見つけた。自分には、毎月通帳に静かに積もる年金がある。だが、それをただ持ち続けて意味があるのか?
私は匿名で、毎月の寄付を始めた。名も顔も知らぬ誰かが、そのお金で温かいご飯を食べている――その想像だけで、心がほんのりとあたたかくなる。
贅沢をすることではなく、与えることで満たされる心が、今の私を支えている。
静かな朝。味噌汁の湯気。仏壇に手を合わせ、「今日もありがとう」と呟く。
それは誰に向けての言葉でもない。ただ、今日も無事に生きているということへの感謝。
私は今、自分の内側に向けて生きている。誰の目にも映らない穏やかな日々。しかしそれは、かつて憧れたどんな高級ホテルよりも、ずっと贅沢な時間だ。

老後とは、何かを得る時期ではない。どうあるかを見つめ直す時間だ。
私は、質素な暮らしの中に、誇りと静かな豊かさを見出している。
見せびらかすことのない幸福。語りすぎることのない人生。
それこそが、72歳の今、私が選び取った「生き方」なのだ。
もし、誰かがこの物語を読んで「こんな老後も悪くないな」と思ってくれたなら、私の静かな日常にも、少しだけ意味があるのかもしれない。
そして今日もまた、私は湯を沸かし、小さな湯呑みでお茶をすする。それが、私にとっての――最高の贅沢。
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