東京都郊外、昭和の終わりに建てられた四階建ての古い団地。その三階でひとり暮らす私は、山口数(かず)、今年で74歳になる。エレベーターなど当然なく、階段の上り下りは日ごとに辛さを増している。年金は十数万円、家賃や光熱費を支払えば手元に残る小遣いはわずか。冠婚葬祭の月には赤字になることも珍しくない。それでも、ここが私の家だ。
朝5時半、私は決まって窓を開けて団地に冷たい空気を取り込む。小さなキッチンで、冷凍ご飯と味噌汁の簡素な朝食を済ませる。その間にも、団地の風景は変わり続ける。子供の声は消え、昼間の静寂が席巻した。向かいに住む石田さん(76)は、まだ元気でスーパーに朝から夕方まで働きに出る。「働くほうが楽なんです」と笑顔で言う彼の姿を見て、私は腰を痛めた自分の身体を思い知る。

その隣では佐伯さん(80代)の姿を見かける。
息子夫婦は遠くに住み、訪れもしない。先日、座り込んでいるのを見かけて救急車を呼んだのは私だった。掲示板には「見守りお願いします」の張り紙がされ、団地には誰にも見られずに生活する高齢者の孤独が静かに広がっていたのだ。
一方、隣の藤原さんは元教師で、やはり団地に越してきた。週末には娘家族が訪れ、孫の声が窓から聞こえる。整えられた鉢植え、笑い声に溢れる部屋。その光景を見るたび、私は自らの暮らしとの「格差」を胸に抱く。だが、その格差はお金だけに限らず、家族・健康・情報・関わり方にまで及んでいた。
ある日、自治会の掲示板に「おしゃべり交流会」の案内を見つけた。気乗りはしなかったが、顔を出してみると、同じような顔が次々に集まっていた。司会は若い女性職員。中村さん(72)は夫と死別後、共済年金でひとり旅にも行けると言う。だが「子どもがいないので、いざというときに頼れない」とも。
石田さんも参加し、「たまにはこういう会も悪くないよ」と、紙パックのお茶を私に渡した。閉ざされた日々に小さな風が吹き込んできた。

帰宅後、布団に入って心に浮かんだのは、隣人たちとの「違い」だった。家族の有無、健康、働けるかどうか。だが同時に思った。「老後の格差とは、金だけじゃない」。それなら、自分なりにできることを積み上げよう、と。
翌日、団地の敷地をゆっくり歩いた。桜のつぼみ、小さな変化にも目を向けられる自分に気づく。自販機のそばで佐伯さんと出会い、昨日はありがとう、と声をかけられた。
彼の言葉が胸に染みる。「誰かに頼らなきゃ、もう生きていけない年になったんだな」と。

その午後、石田さんが余った煮物を持ってきてくれた。里芋や人参、昆布の組み合わせが懐かしく、妻が作ってくれていた料理と重なった。湯気の向こうに、あの頃の温もりを思い出し、涙がこぼれる。
夜、テレビを小さくつけていると、藤原さん宅から孫の笑い声が聞こえてきた。戻らない光景ではあるが、温かさも含んで響くその声に、胸がじんわりと湿った。
「人と比べて落ち込むより、自分なりにできることを探そう」と決めた夜だった。
数日後、掲示板に「暮らしの相談会」「健康チェック」の案内が貼られていた。会社勤めの頃はこういう案内に目もくれなかったが、今では見逃せない。参加してみよう──そう思う自分に、変化を感じた。
帰り道、団地の掃除をする初老の男性と出会った。昔の同僚、森田さんだった。
「団地暮らしも悪くないよ。助け合っていける」と彼は笑った。その言葉が私の胸に沁み入り、団地という場所に、再び根を張りはじめた気がした。
3月。掲示板に「こんにちはの日」の案内。声をかけて挨拶する日だという。沈黙が広がる中、誰ともなく「いいんじゃないか」と声が上がる。春の日差しが注ぐ中、私も名前を書いた。朝の散歩が少しだけ待ち遠しくなった。
4月。桜がほころび、人影がベンチにも増えてきた。見守り活動や清掃にも参加し始め、団地はゆっくりとだけれど確実に変わっていった。「誰かと並んで今日を過ごせる」──そんな小さな目標が、メモ帳に刻まれた。
5月。掲示板に清掃ボランティアの案内。「無理しない範囲で」と書かれた案内板に名前を書き、当日私は落ち葉拾いやベンチの清掃をした。紙コップの会話時間、笑い声の温度が心地よかった。老後は閉じこもる時間ではなく、人とつながり直す時間なのかもしれない──その実感が胸を満たした。
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