私は西村静子、67歳。都内近郊の築40年を超える団地の一室で一人暮らしをしている。家賃は5万円強。毎月の国民年金は8万円。差し引きすれば残るのはわずかだ。
朝は安売りでまとめ買いしたインスタント味噌汁をすすり、昼はご飯と漬物、夜は豆腐やもやしを炒めただけの質素な食卓。冷暖房の効きづらいこの部屋に、40年住み続けている。
私は若い頃からスーパーのパートで働き続け、今も週に2〜3回、品出しの仕事をしている。段ボールを持ち上げるたびに腰がきしむ。指の関節は変形し、医師には「加齢性の関節症」と告げられた。湿布と痛み止め、それが私の治療だ。
そんなある日、一通の手紙が届いた。差出人は高校時代の親友、山根雅子。達筆な文字で「同窓会を開きます。久しぶりに、人生を語り合いましょう」と書かれていた。
私は一瞬笑ってしまった。「人生を語る」…私に語るような人生などあるだろうか?会費は5,000円。交通費を合わせれば、それだけで1週間分の食費が吹き飛ぶ。正直、迷った。
だが、彼女の名前を見た途端、青春の記憶がふいに蘇った。
公立高校で机を並べた私と雅子。卒業後、私は進学を諦めて働きに出たが、雅子は東京に出て商社勤めの男性と結婚し、専業主婦として暮らしていると聞いていた。
一度くらい、彼女の“その後”を見てみたい——そう思った私は、手帳に「同窓会」と記し、図書館で「老後の格差」について特集している雑誌を読んだ。
その記事にはこうあった。
「厚生年金の受給者と国民年金の受給者では、月6万円以上の差が生じる。老後に自由があるか否かは、偶然ではなく“選択の積み重ね”で決まる」
それを読んだ瞬間、胸に何かが突き刺さった。
選択…? 本当に私は“選んで”きたのか?
20歳で近所の男性と結婚し、1人息子を出産。しかし夫は病に倒れ、彼が亡くなった時、息子はまだ2歳。親の援助を受けながら葬儀を乗り越え、私はすぐに働きに出た。保育園の空きがなく、職場に迷惑をかけながらも、なんとか生活をつないできた。
選択というより、生きるための“必然”だった。
そして同窓会当日。会場は都内の高層ホテル。普段の私の暮らしとは別世界だった。
シャンデリアの下、雅子が現れた。エレガントなワンピース、磨かれた靴、穏やかな笑み。隣に立つ私は、団地仕様のワンピースと擦れた靴。その差は歴然だった。
「静子…久しぶりね」
彼女の声は、変わらず柔らかく温かかった。私は自然と笑みを返した。
「雅子、全然変わらないわね」
「そんなことないわ。老眼鏡は手放せないし、腰も痛くて。
でも…こうして会えてうれしい」
彼女の暮らしぶりは、まさに“理想の老後”だった。
夫は大手商社の元役員。企業年金だけで月20万円以上、貯蓄も潤沢。平日は美術館、週末は郊外ドライブ。シニア向けの英会話や水中ウォーキングにも通っているという。
「老後は“準備”がすべてだったわね。うちの人がしっかりしてたから、私もこんな生活を送れてるのよ」
私はただ、黙って頷いた。
格差。それはお金だけの話ではない。「準備」と「支え」の差でもあるのだと、痛感した。
帰りの電車、私は窓に映る自分の姿を見ながら、小さく呟いた。
「同じ67歳でも、こんなに違うのね」
それでも——
私は今、目の前の生活を選び直そうと思っている。図書館で見つけた地域の「おしゃべりカフェ」に参加してみた。誰とも話さず一日を終える日々に、小さな風穴が開いた。
そこで話した女性がこう言った。
「格差なんてね、人の心には関係ないわ。気軽に話せる誰かがいるってだけで、幸せになれるものよ」
私は頷いた。豊かさとは、数字で測るものではない。人と繋がること、笑い合えること。それが老後の本当の“資産”なのだと。
数日後、雅子から手紙が届いた。「主人が認知症と診断されました。ゆっくり寄り添っていこうと思います」と。
私は返事を出した。
「よかったら、今度はうちに来て。狭い団地だけど、お茶くらいは出せるから」
格差は確かにある。でも、心の距離は自分次第で縮められる。
老後は“運”ではない。“どう生きるか”の延長線上にあるのだと、私は静かに実感している。
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