私の名前は高野美沙子。65歳、独身。東京郊外の古びた賃貸アパートで、質素な暮らしを続けている。定年退職から二年が過ぎ、今は週に四日、近所のスーパーでレジのパートをしている。
若い頃は「一人でも生きていける」と思っていた。契約社員としていくつかの会社を渡り歩き、40代でようやく小さな印刷会社の正社員に。けれど、その会社も業績悪化で退職金は雀の涙。家を買う余裕などなかったし、年金も最低限しかもらえていない。
冬の朝は冷たい。石油ファンヒーターを点けても部屋はすぐには暖まらない。冷蔵庫には半端な野菜と卵、レジで余った値引きシールを貼った惣菜。そんな日々が当たり前になっていた。
そんなある日の午後、私のレジに並んだ一人の女性に目を奪われた。明るい色のセーターに品のあるスカーフ、姿勢はまっすぐ、肌艶もよく若々しい——彼女は私の名札を見るなり驚いたように目を見開いた。
「高野さん…私、祝井よ。覚えてる?」
一瞬、時が止まった気がした。
祝井かよ——かつて一緒に事務仕事をしていた同僚。同じ職場、同じ独身、ほぼ同じ年齢。
なのに、彼女の手にはデパ地下でしか見ないような惣菜と上質な食材。支払いはクレジットカードで、年齢を感じさせるところはどこにもなかった。
「今、料理教室の帰りなの。またお茶でもしましょう」
彼女は笑顔でそう言い、名刺を置いていった。肩書きは「ライフコーディネーター」。その夜、私はその名刺を何度も見つめた。
何が違ったんだろう——同じように働き、同じように独身で生きてきたはずなのに。
数日後、私は祝井に連絡を取った。電話の向こうの声は昔と変わらず穏やかで、「ぜひ会いましょう」と言ってくれた。カフェで再会した彼女は、地域の高齢者支援サロンでボランティアをしているという。
「人生って、選び方次第なのよ。どんなふうに老後を迎えるかも、自分で決めていくものなの」
彼女は、そう言って私にサロンへの見学を勧めてくれた。
初めて足を踏み入れたその場所は、明るく、誰もが穏やかに笑っていた。お茶を飲みながら、体操をし、時には暮らしの知恵を話し合う——私が知らなかった“繋がり”が、そこにはあった。
それから私は、少しずつ変わった。毎朝、鏡の前で髪を整え、安物でも気に入ったスカーフを巻くようになった。食事にも少しだけ手をかけるようになった。
スーパーの同僚とも、少しずつ言葉を交わすようになり、「お疲れ様」と声をかけられるだけで、嬉しいと思えるようになった。
先日、レジに並んだ見覚えのある女性が私に声をかけてきた。「高野さん…昔、私の上司でしたよね?」
彼女はかつての後輩。私は思わずうなずいた。
「まさかこんなところでお会いできるなんて。お元気そうで、安心しました」
その言葉に、私は自分の歩んできた日々が無意味ではなかったのだと、少しだけ救われた思いがした。
格差。それは確かに存在する。経済的な違い、暮らしの質、そして老後の選択。
けれど、私は知ったのだ。老後に必要なのは、過去の栄光や貯金額ではなく、“今をどう生きるか”だということを。
サロンでは、笑い合える人がいる。スーパーでは、役目がある。そして、たまに交わす祝井とのお茶の時間が、私の心に静かな温もりをくれる。
老後の格差——それは運ではない。日々の選び方の積み重ねなのだ。
そして私は今、その「選び直し」を始めている。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください
次のページ引用元:https://www.youtube.com/watch?v=KsO2g5J_V2I,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]