俺の名前は佐野正。68歳、関東郊外の木造アパートの一室で一人暮らしをしている。年金はない。正確には、「年金を受け取る資格がない」と言うべきだろう。
毎朝5時に目覚める。もう目覚ましは必要ない。電気ポットで湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れる。トースト一枚を焼き、もやしの残りを炒める。それが俺の朝食だ。
若い頃から俺はずっと働き詰めだった。配送ドライバー、工事現場、深夜倉庫。とにかく体を使う仕事ばかりで、正社員として長く勤めた職場など一つもなかった。
「今日は雨だから中止な」「人が足りてるから明日は来なくていい」——そんな日々の繰り返しだった。
厚生年金に加入した期間はわずか。国民年金もほとんど納めていなかった。その理由は単純だ。「金がなかった」からだ。
赤や青の封筒は何度も届いた。最初は怖くて開けなかった。やがて、「どうせ払えない」と思い、封を切ることすらしなくなった。
テレビで「払わない人間は自業自得」だとコメンテーターが語っているのを見て、胸がざらついたのを今でも覚えている。
60歳を過ぎたある日、区役所で言われた。
「佐野さん、年金の受給資格を満たしていません。保険料の納付期間が足りません」
数字で突きつけられた「ゼロ」という現実。それは、俺の人生の通知表のようだった。
財布の中には小銭が数百円。貯金残高は5,400円。頼る家族はいない。元妻は、30年前に俺の将来に不安を感じて出て行った。息子はいない。
年金ゼロの老後とは、「何かが起きた時、誰にも頼れない」状態だ。腰を痛めても病院には行けない。薬局の湿布でごまかすしかない。病気にでもなれば、それは“終わり”を意味する。
清掃のバイトにしがみついている。朝4時半、始発前の暗闇の中を歩き、駅前ビルのトイレを磨く。ガラスを拭き、エレベーターを掃除する。
無心になれば、空腹も寒さも少しだけ紛れる。
ある日、若いバイトが声をかけてきた。
「佐野さん、手慣れてますね。長いんですか?」
俺は笑って、「最近始めたばかりだよ」と答えた。その一言が、なぜか胸に染みた。
家に帰ると、冷蔵庫には賞味期限切れの卵ともやしだけ。カレーの残りを温め、テレビをつけると、「老後資金2,000万円必要」というニュースが流れていた。
思わず笑ってしまった。俺には2,000円も厳しい。
そんなある日、図書館で目にしたパンフレットに「高齢者向け就労支援」とあった。行ってみると、俺と同じような年齢の人たちが静かに座って話を聞いていた。
「年金がなくても、まだできることはある」——その言葉に、少しだけ救われた気がした。
配布会で受け取ったレトルトご飯と缶詰。涙が出そうになった。でも、その時のボランティアの女性の笑顔が、今でも忘れられない。
「気にしないでくださいね。誰でも頼っていいんですよ」
それは、俺の人生で初めて“許された”気がした瞬間だった。
—
過去の俺は年金を「自分には関係ないもの」として生きてきた。だが、今は違う。あれは“未来の自分を守るための保険”だったのだ。
年金があれば、ここまで追い詰められなかっただろう。だが、それを今さら悔やんでも時間は戻らない。
だからこそ、俺は今を生きる。小さなことでも、人と関わり、誰かに「おはよう」と言われることに救われながら、今日も働く。
この社会のどこかに、俺の存在が小さくても“必要とされている”——その事実が、唯一の誇りだ。
68歳、年金ゼロ。俺の人生は褒められたものじゃない。
でも、「それでも、生きるしかなかった」。
そして、今も生きている。それだけは、確かだ。
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