私は秋山明子、68歳。夫を10年前に亡くし、それ以来ずっと一人で暮らしてきた。退職後、持ち家があり貯金もある。それに年金も合わせれば“質素に暮らせば何とかなる”。そんな甘い見通しを、当時の私は抱いていた。
現在、毎月の手取り年金は国民年金と厚生年金合わせて約12万円。ローンは完済しているものの、固定資産税や修繕費、水道光熱費がじわじわと家計を圧迫し、心に重くのしかかる。最初の一年目は、朝に新聞を読んだり、週一のスーパーの総菜で贅沢をする時間にも潤いを感じていた。だが、それも長続きしなかった。
ある冬の日、給湯器が壊れた。修理費は7万円。翌月の光熱費も跳ね上がり、生活は急に逼迫しはじめた。食費を削るしかなく、肉は胸肉、野菜は旬のもの、刺身は半年以上食べていない。保険料と電気代、通院でかかる1万円近い病代。家は古く、寒暖差で体調も崩しやすく、去年は転んで骨折し、5万円以上の医療費がかかった。
それがきっかけとなり、家計簿を閉じ、心は暗く沈んだ。
人とのつながりも徐々に失われた。近所の友人は引っ越し、親しかった友人は入院中。電話が鳴る日は激減し、部屋にはテレビの音だけが響いている。電話が来るのはせいぜい昔の職場仲間からで、話題は病気やお金のことばかり。「老後ってこんなに孤独だったかしら」と呟くことも増えた。
そんなある春の日、私は新聞折込のチラシを思い出した。「地域お茶とおしゃべりの会、どなたでもどうぞ」という文字。しかし、ずっと行く勇気が出なかった。その日、ふと鏡を見た自分に問いかけた。「明日を変えなきゃ」。そしてカーディガンを取り出し、化粧をして、公民館に向かった。
公民館には十数名の高齢者がいた。立ちすくむ私に、優しい声で「どうぞ」と案内してくれたのは、松浦さんという70歳の女性。彼女も数年前、夫を亡くしていて「黙っていると、どこにもいないように感じる」と話す。
その言葉に心がほどけ、自然と笑顔がこぼれた。
帰り道、公園のベンチに腰掛けた。風は冷たかったが、部屋に帰ると部屋がぱっと明るく見えた。誰かと話す、笑う——こんなにも人は満たされるのか、と私は思った。
翌週、私はまたその場へ足を運んだ。公民館の和室には、穏やかな笑い声が満ちていた。松浦さんがにっこりと寄ってきて「来てくれてよかった」と言ってくれた。その言葉に胸がじんわりと温かくなる。
手遊びや体操、童謡の手拍子。笑いながら心が溶けていくようだった。帰りに「来月からお茶当番を」と頼まれ、「ありがとうございます」と答えたとき、誰かに役割を与えられたことがこんなに嬉しいとは思わなかった。
帰宅後、冷蔵庫に挿した一輪のカーネーションが、まるで自分へのご褒美のように見えた。
三回目のサロン。参加者は写真アルバムを囲んで昔を語り合った。モノクロ写真の中の若き日の素顔。その会話に頷きつつ、私は過去の自分もこの場所にきちんと存在していたのだと気づいた。すると、松浦さんがぽつりと「明子さん、趣味あるの?」と聞いてきた。昔やっていたことを思い出し、私は「短歌を少し…」と答えた。すると彼女が「読んでみたら?」と背中を押してくれる。その言葉が胸に響いた。
家に帰り、押入れから古いノートを出した。黄色く変色したページに昔の短歌と、「何かを続けることは意味がある」という自分の言葉が綴られていた。
私は新しい歌を書き加え、「今日も生きている」と声に出してつぶやいた。
次のサロンで、私は初めて短歌を披露することになる。
さらに次週、私は市役所の福祉窓口を訪れた。生活の限界を感じた私は、補助制度への不安を打ち明けた。職員は穏やかに頷き、高齢者向けの見守り電話サービスと通報ボタン、電気代補助などを丁寧に説明してくれた。「助けを求めることは甘えじゃないですよ」と言われ、涙が出そうだった。
帰宅後、松浦さんに電話すると「よく行ったわね」と笑いかけてくれて、心がほっと落ち着いた。
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